現代アートとRIDDIM HUNTER

どうもキヨシロー(@RevoKiyo)です。いやぁ今週はとても濃厚な経験ができた、一週間だった。

火曜日:アカマルにて『RIDDIM HUNTER』のLIVEを鑑賞

水曜日:ヨシダナギの写真展『HEROES』を鑑賞

金曜日:PANDEMICにて、『DOGEN』を鑑賞

これだけのいろんなアートを見れました。今週見たこと、感じたことを文面に起こします。これも「アート」の楽しみ方のひとつですね。まずは火曜日の出来事や感じたことを書こうと思います。

・RIDDIM HUNTERをはじめて観たとき

大阪アメ村、Garden Barにて、RED CIRCLE (アカマル) というイベントを毎月第二火曜に主催側として開催させていただいてるのですが、そこで毎月する主催側の、会議でRIDDIM HUNTERというアーティストをブッキングしたいと、熱望しました。

初めて観たのは、神戸の4人組MACK JACKという同い年の歌い手が主催しているCREATEというイベントで一緒にブッキングをされたのでその際にLIVEを観させていただきました。

私の音楽の趣向は、専らジャマイカから届く音楽に偏りきっておりまして失礼ながら、一曲もこのRIDDIM HUNTERの曲を知らなかった。

CREATE出演の際、すこし勉強しとかないとということで、Youtubeをチェック。しっかり歌詞を聞くことも、無く「こんなかんじね。」程度で流し聞きをして本番に挑みました。

LIVEを観た瞬間、空気間とその開場の空間、雰囲気に圧倒されまして、LIVEで味わった事がない感覚でした。

それがフランス映画の終わり方のような、映画館で見た後のような、モヤモヤした何ともいえない感覚で、この日の体験が忘れられず、自分が主催のイベント、アカマルにも呼ばせていただきました。

 

・覚えのある、感覚

上に書いたような、モヤモヤした気持ちになりながら前にも無言で友達と帰路についたことがあったのです。それはアラタパンダン展という作品の展示会の帰りの感覚でした。

第五回アラタパンダン展 from okamotoayumi on Vimeo.

上の動画はその展示会のダイジェスト映像です。出展している芸術家達は現代アートだなんて言うつもりは無いのだと思うんだけど、十分に現代アート。

単刀直入に言って、「よくわからん。」ただこの日は、展示している作者達も居たので「なにをどういうつもりで、この作品を作ったの?」と作者に質問すると、100%の熱量でしっかり答えることができる作者が居ました。

それはそれは、「この作品はこういうところが良い!」「こういうところが素晴らしい!」としっかり答えてくれる。

「いやぁ~なんとなく暇つぶしで~作ったんですよ~じゃあ、なんか良い感じにできたので飾ってみました~」みたいな回答が返って来ようものなら、別に理解しようとも思わないんですが。

いま思うと、自分が良さを理解できないものに全力で魅力感じる人が人が居て、100%の熱量を込めてその作品を制作する人が居るということ。

なにかわかんないけど、なにかを持ち帰ったか?と言われると、今思えばですが、こんな人たちが居るということを知ったというのが、行った意義かなぁと思います。

 

・感覚で分からないときはコンテクスト


※マルセル・デュシャンの作品「L.H.O.O.Q」

皆さんこの絵は、もちろんご存知ですよね。レオナルド・ダ・ヴィンチのモナ・リザです。でもなんか髭の落書きされてますよね?これはデュシャンが1919年、ダ・ヴィンチがモナ・リザを書いた400年後にあたる年にモナ・リザの安い複製画 (ポストカード)に髭を鉛筆で付け加えただけのモノです。

ただこの作品は後に、8500万円で落札されることになります。なぜこんなものに魅力を感じる人がいるかというと、デュシャンは、女装をして男性女性の両方の気持ちになりながら、作品を世に出していました。女装した際には、ローズ・セラヴィと名乗っておりました。性別を混同し両方の気持ちを理解しようとしていたとのこと。

そして、「モナ・リザは男だ。一番最初に男だと発見したのは私だ!」ともデュシャンは言ってたそう。

こういった脈略や背景、状況などを知ったらこれは【芸術】だと感じるんだと思います。


※マルゼル・デュシャンの作品『泉』

これなんかは、ただ男子小便器を横に転がしただけの作品。お金を払えば、展示できる展示会に出展するも、下品だと言う理由で断られます。既にこの頃、デュシャンは有名な芸術家であったため、R.Muttという偽名を使い出展します。

オリジナルはゴミだと思われ捨てられて、この写真しか残ってません。

この頃の芸術と言えば、目で楽しむだけの芸術とデュシャンは批判しており、精神的に感じて、脳で考えて楽しむ芸術を望んでいた。

そして、この『泉』という作品は皆がおそらく大好きでは無いなんの感情も生まれ無い便器を、配管も取っ払われた用を足すという本来の利用価値を失った便器が転がっているこの状況をみて、鑑賞者は何を感じるのか。

芸術家の意図や心情を誤って読み取らせ、考える行為、鑑賞者で語り合うこと。作者の意図を考える事が一般的だったアートの愉しみ方とされていたのが、鑑賞者に主体を置いて、何を感じるのかということに重きを置いたのが、芸術の楽しみ方だと伝えるというアートなわけです。

これらのコンテクスト (文脈・脈略・時代背景) などを理解しようと試みながら、感覚だけでは理解しがたい現代アートも愉しむことができますね。

 

・アカマルにてLIVE

LIVEが始まった瞬間から、呼んで正解だと思いましたね。RIDDIM HUNTERが好きで観に来ているお客さんたちは、その雰囲気や空間を愉しんでいるのですが、観たことも、聞いたこともない友達に「とりあえず、ヤバイから来てくれ!」と呼んだ数人も、失礼ながら「なに見させられてんねん。嘲笑」みたいな雰囲気から始まるんですよ。

LIVEなのに、歌っている本人は揺れることも無くその場から微動だにせず、次々に歌っていく。盛上げようとしているのか?そもそもそんな概念が無いのか。

MCもよくわからないことをボソボソと話すし、無音の時間も長いからクラブなのに静寂と暗闇に包まれているし。

「事故!この空気感、事故!」と思う人も居たと思うし、静寂や暗闇、このアーティストが出す空気感を愉しむ人も居たと思う。二回目の私はそういうつもりで観てるので後者の愉しんでるほうね。

ただ、その場に居る大多数は後半になるにつれ、この歌ってる人を理解しようと、なにを伝えたいのかを理解しようと一言一句、歌詞を聞き逃さないように音の中の空間を”探索”している。

最後の2曲は、「少し揺れようかな」とMCをして、他のアーティストに比べるとほんの少しだけ揺れながら【ワン!ワン!】を歌った。

最後に【NINJA MI~♪NINJA~♪】って曲で、固い韻を踏み、早口で歌い、この日初めてダンスホール的ボスをかっさらい、LIVEは終了。

“良さ”が分かりにくいのか、LIVEを観終わって来てくれと頼んだ友達にどうだった?と聞くも、「良かったけど、ふわふわした気持ちになる。ただ凄い不思議な空間だった」という人も居たし、「とても良いものを見せてもらった。」とお礼を言う人も居た。

ただ例外なく万人が良いと思うものが、心に刺さるわけは絶対に無く、なんかよくわからんけど哀しさを感じるが、なんかとても良い。また見たい!と私の心には刺さるわけです。

LIVEを観ながら(これを良い!と思える感覚を持っている自分が嬉しいな~)と思いながら観ていました。

どういった流れで、こういった曲を歌い、こういうパフォーマンスをされるようになったのかが気になり、コンテクストをアメーバブログやTwitter,Instagramなど色々見てみたのですが、わけの分からないことしか書いてなかった。笑

19~20歳ぐらいで私と同じように大好きなジャマイカに思いを馳せ、レゲエやダンスホールにはまっていったとの事なんだが、どういう道筋で今のスタイルになったんだろう。

最近、日本のアーティストに「ジャマイカを感じるから良い!」とはあまり思わなくて、ジャマイカ的なものが好きなんであれば、ジャマイカで生まれた本場のものを聞くし、EDMの真似事を日本人が真似をしても、本場のものには勝てないと最近思う。独自に発展した、純J-POPやCITY POPのほうがおもしろい。

それよりも、その人の人生が反映された、その人が表現するものが単純に好きだ!という好みになってしまった。

そして今回呼ばせてもらった、RIDDIM HUNTERさんになんか気になるし、また見たいと思ってしまう。今度話してみたい、いろいろ聞いてみたいとは思うが、2度握手した以外喋ったことは、「宜しくお願いします。」と「またどこかで。」っていう二言を仰ったのみ。

今度はこっちからがんばってガツガツ話しかけよう。

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次回のアカマルはコチラです。

今回の写真は、コチラに!是非、保存しSNSにどんどんアップしてください。

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